大阪高等裁判所 昭和43年(う)1701号 判決 1969年3月14日
被告人 岡本十九年
主文
原判決を破棄する。
本件を神戸地方裁判所尼崎支部に差し戻す。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人高橋靖夫の作成にかかる控訴趣意書および控訴趣意補正申立書と題する書面(ただし後者の記載中、一の1の後段の部分を除く)に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官上西一二の作成にかかる答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意第一は、原判示第一の事実につき、本件事故は、被告人が幅員三五米の第二阪神国道上を制限速度内の時速五〇粁の速度で西進する間、信号機により交通整理の行なわれている本件交差点にさしかかり、その対面信号が青色を示していたので、そのまま進行を続けたところ、南北の赤信号を無視し、北方から自転車に乗つて右交差点に進入してきた被害者と衝突するにいたつたもので、かかる場合被告人としては、当時降雨のため見通しの悪い状況であつたからといつて、信号無視の違法をおかして進路上に進出してくる者のあることまでを予測すべき注意義務はないものと解すべきであるにもかかわらず、被告人に当時その義務があつたとして過失の罪責を認めた原判断には法令の解釈適用を誤つた違法があると主張する。
そこで、訴訟記録に徴して所論の点を考察するのに、本件道路は、歩車道の区別があり、中央に分離帯を設けた総幅員約四九米の東西に通ずる第二阪神国道であつて、被告人が当時幅員一七・一米の同国道西行車道上を普通乗用自動車を運転して法令による最高速度の制限内である時速約五〇粁の速度で西進していたものであることおよび本件交差点は、右国道がこれとほぼ直角に南北に通じている車道の幅員約九米の道路と交じわつている箇所で、電動信号機により交通整理が行なわれていたことは各証拠によつて明白なところであり、また、被告人が当時本件交差点における東西の対面信号が青色を示していたので、従前の速度のまま本件交差点に進入したところ、約三・八米前方に自転車に乗つて横断中の被害者を発見したが、避譲措置をとることができず、これに衝突して同人を路上に転倒させ即死するにいたらせたものであることは、いずれも原審が取り調べた各証拠によるかぎり動かしがたい事実と考えられる。ところで、原判決は、右衝突事故を発生させたことにつき、対面信号が青色であることに気を許し、交差点周囲および進路左右の安全確認、速度の調整、前方の注視、障害物の早期発見等の注意義務を怠つたとして被告人の過失を認めているので、この判断の当否を検討する前提として、本件現場にいたるまでの道路の状況や被告人車の進行経過に関してさらに調べてみると、原判決挙示の各証拠によれば、右第二阪神国道には、本件交差点の東方約三〇〇米の箇所にも南北に通ずる道路と交じわる交差点があり、同交差点にも電動信号機が設置されていて、この信号機と本件交差点の信号機とは連動式になつており、西行車道の三条の通行帯の中央にあたる第二通行帯を西進してきた被告人は、前記東方の交差点にいたつたさい、信号が赤色になつていたため、一旦停車して信号の変わるのを待ち、これが青色に変わるのをみてから発進し、右両交差点の信号機が連動式であることを承知していたので、本件交差点の信号機も当然青色を示していることを考慮に入れながら、次第に加速して同じ通行帯を直進したものであることが認められる。そして、昭和四二年五月一五日付および同年四月一一日付司法巡査の作成にかかる各実況見分調書によれば、右被告人の進行経路の北側(右側)には、幅約四米の前記中央分離帯があつて、同所には約六米の間隔をおいてかん木の植込みと防護柵とが設けられていたため、被告人のような普通乗用車を運転して西進する場合、対向車道その他右側方向の状況については、本件交差点の東方約一〇〇米の地点では、右植込み等にさえぎられてほとんど見通しがきかず、同交差点の東方約六〇米の地点にいたつて、樹木がまばらになつているため、断続してではあるが、見通しがようやく可能となり、同じく約三〇米の地点に達してはじめて視界が完全に開ける状態であることがうかがわれるのである。かような道路の状況のもとで西進を続けた被告人としては、本件交差点の信号が予測していたとおり青色を示していたことが明らかである以上、特別の事情がないかぎり、自車の進行する西行車道の前方を注視しつつ、従前の速度を維持し、直進して本件交差点に進入すれば足りるわけであつて、一般的に、対向車道を含む交差点周囲全般の状況を確認し、その状況に応じうるよう速度の調整等をするまでの義務を有するものとは考えられず、本件のように降雨のさいであつたからといつて、特にその義務が生ずるものとも解されない。一方、被害者の事故直前の行動について調べてみるのに、同人が本件事故発生時の約三〇分前である当日午後七時三〇分頃本件交差点の北方に所在する知人宅を辞するさい、黒いこうもり傘を借りて足踏自転車に乗り、よりみちをせず帰宅する趣旨の言葉を残して立ち去つたことが認められるところから、右知人宅を出て本件交差点の南西方に所在する自宅に向う途中、本件交差点を原判示のとおり北方から南方に向けて横断しようとしたものであることは推認されるが、その横断の方法や、被告人車の進行との関連においていかなる時点で横断を開始したものであるか等の点については、これを詳かにする資料がみあたらない。ただ、被害者が足踏自転車による通常の進行方法で北方から本件交差点に進入してきたものとする場合には、昭和四二年四月一一日付司法巡査の作成にかかる実況見分調書添付の図面によつて、本件交差点の北縁から被告人車との衝突地点まで約二八・一米の距離があつたものと認められ、足踏自転車の通常の速度は経験則上遅くとも時速一〇粁以上と考えられるので、被害者が毎秒約二・八米程度の速度で進出したものと想定して推算すれば、被害者が本件交差点に入つた時期は、被告人車と衝突するより約一〇秒内外前の時点であつたことが一応推定されることになる。これに対応して被告人車における進行の状況と信号機の指示について考えてみると、被告人は、前記のとおり、本件交差点の東方約三〇〇米の箇所に存在する交差点の信号が赤色から青色に変わると同時に発進し、時速約五〇粁の速度で進行したものであるから、右発進から本件交差点内における被害者との衝突地点にいたるまでは約二二秒程度の時間を要したことになり、しかも、右両交差点における信号機が連動式であり、被告人が本件交差点に進入するさい東西の対面信号が明らかに青色を示していたことからすれば、東西の信号は本件衝突事故の発生するより約二二秒前の時点から本件衝突事故発生の時点まで引き続き青色を示しており、したがつて必然的に、被害者の進路に対面する南北の信号は、右と同じ時間赤色を示していたものであることが認められる。かくして、前記推定の結果を前提とするかぎり、被害者は、自車の対面信号がすでに一〇秒以上も前から赤色に変わつているにもかかわらず、あえて本件交差点に進入したものであることとなり、かかる以上、被告人においては、前記道路の状況や進行の経過ともあいまつて、自車の進路上にかような信号無視の車両が出現することまでを予見し、あらかじめこれに対処するため速度の調整、交差点周囲の警戒等の措置を講じておかなければならないとする注意義務のごときは、全く存在しないものといわなければならない(昭和四三年一二月二四日最高裁判所第三小法廷判決参照)。もつとも、被害者が本件交差点に進入したのち、なんらかの事情により進行に支障をきたし、たまたま被告人車の進行道路である西行車道上において早くから停滞していたような場合においては、被告人として、たとえ対面信号が青色であつたからといつて、これを避譲しあるいは早期にこれを発見して停車する等事故の発生を未然に防止すべき義務を免れるものでないことはいうまでもないが、このような特別の事情は証拠上認められない一方に、これらの点および被告人車の進行過程について、あるいは実情を解明する可能性も考えられる目撃者の存在が記録上うかがわれるにもかかわらず、原審においては、その取調がなされた形跡はなく、原判決も叙上の観点からする被告人および被害者の行動その他事故発生の態様について分析と追及を十分行なつていないかのごとくにみうけられる。かようにして、原審が取り調べた証拠により認められる具体的事実関係を前提とし、前記の如く被害者の行動に関して通常推定される経過からすれば、被告人における過失が否定される余地の十分考えられる本件事案について、その究明をすることなく、被告人に前記のごとき注意義務がある旨をたやすく肯定し、これに違反したとして過失を認めた原判決は、結局において法令の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認したものというほかなく、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点の論旨は理由があり、原判決は、その余の論旨について判断するまでもなく、同判示第一の事実について破棄を免れず、また、これと併合罪の関係にあり、単一の刑をもつて処断されている同判示第二の事実をも合わせて、その全部について破棄されるべきものと考えられる。
よつて、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を破棄し、さらに第一審において審理をつくさせるため、同法四〇〇条本文により本件を原裁判所である神戸地方裁判所尼崎支部に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 八木直道 神保修蔵 西川潔)